司馬懿をギャフンと言わせた場所に立つ——西安・三国志編【2023年6月】

函谷関行った後もさらに聖地を求めて この日の目標は雍城遺址と蘄年宮。秦が咸陽に遷都する前の旧都・雍(現在の鳳翔エリア)にある遺跡だ。Googleマップを頼りに歩いていたら、見事に畑の中に連れて行かれた。畑に殺虫剤を巻かれていた所だったのか、道に夥しい数のゲジゲジっぽい虫が這いまくっている所に遭遇したり、畑の中にあったお墓だったりしてもとにかく前に進むしかない状態。中国でGoogleマップはあまり信用しない方がいい、というのを身をもって学んだ。どこが遺跡なのかさっぱりわからないまま、それっぽい場所を写真に収めて撤退した。蘄年宮も同様で、休憩で止まっているタクシーの運転手さんを捕まえて地球の歩き方を見せて住所を頼りに周辺に連れて行ってもらいはしたが、「わからない」とのことだった。 気を取り直してそのタクシーで秦公一号大墓へ。春秋時代の秦の君主の墓で、始皇帝陵のような派手さはないが、発掘の様子がそのまま展示されていて歴史の地層を見ているような感覚があった。始皇帝陵がメジャーな観光地だとすれば、こちらはより研究者・歴史好き向けの雰囲気だ。見応えがあった。45分後に迎えに来てもらう約束でタクシーを待たせ、じっくり見学した。
目次

五丈原——司馬懿をギャフンと言わせた現場

さあ、ここからが三国志だ。 五丈原は234年に諸葛孔明が陣没した場所だ。第五次北伐で魏の司馬懿と対峙しながら病に倒れ、この地で生涯を閉じた。「死せる孔明、生ける仲達を走らす」——孔明の死後、木像を見た司馬懿が本人と勘違いして逃げ出したという故事の舞台がここだ。 タクシーの運転手さん曰く、「コロナ前は日本人が多く来ていたが、中国人には全く人気がないので帰りのタクシーが拾えない可能性が高い」とのこと。それでタクシーをつかまえた時に交渉で、帰りの電車の駅に送るまでチャーターという条件の金額を渡した。 ところが、秦公一号大墓で45分待っていた間によほど退屈だったのか、「やっぱり帰りは待つのをやめていい?」と言い出した。五丈原から駅までの分を返金してもらって自力で帰ることにしたが、いざ五丈原に着いてみると想像以上に寂れていた。タクシーが拾えないどころか、人がいない。運転手さんも流石にまずいと思ったのか、「やっぱり待つ」と言い出した。←ここは良い人、と思った。 ところがそこで、返してもらった金額以上を請求してきた。 「あなたが勝手に撤回しておいてそれはないんじゃない?」 きっぱりお断りして、最初に交渉した金額を渡した。運転手さんも最終的には納得してくれた。 肝心の五丈原は、函谷関と同じく寂れたテーマパーク感が漂っていた。でもだからこそ三国志の世界にどっぷり浸れた。諸葛亮の廟、奥さんの黄夫人の廟、劉備・関羽・張飛の三兄弟像。蜀まみれの空間だ。ここで司馬懿はギャフンと言わされたんかぁ、と思いながらひとり歩いた。静かで、良かった。寂れて土産物屋も露天でまばらに適当なものがおいてある中、孔明の扇が土産物として売ってた。成都でも見かけたので、孔明ちょっといじられてるやんって笑ってしまった。

最終日——西安の街を味わう

翌日は最終日。咸陽城遺址を見学してから大唐芙蓉園へ向かったが、またしても決済の壁でチケットが買えず入れなかった。そこまで執着はしなかったので周辺だけ見て退散。駅直結のショッピングセンターには観光客向けのコスプレ衣装屋が軒を連ねていて、ロケ写文化が根付きまくっているのに感心した。 夕方、鐘楼・鼓楼の共通券を買って内部を見学した。西安の街を見下ろす鐘楼の上から眺める景色は、古都の風格があった。 そのまま回坊風情街へ。回民街に隣接するエリアで、ここも夕暮れ時から賑わい始める。凉皮(リャンピー)という米粉の冷たい麺にきゅうりと辣油を和えたものを食べ、ざくろジュースを飲んだ。西安の夏の食事として完璧だった。 ホテルに戻ってから、夜景を眺めながらホテルの近くで串を買って晩酌した。翌日の帰国に備えながら、この旅を振り返った。 ビザ取得5日前に気づくところから始まって、助けてもらいながら、迷いながら、歩きまくって、食べまくって、それでも行きたいところにはなんとかたどり着いた。勢いだけで来てみたけど、なんとかなった。そしてめっちゃ満足した。 この週の1日平均歩数は25,930歩。4万歩超えの日が2回あった。
旅行中の歩数
この週の歩数記録

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